はじめに
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 悠久の時代(とき)を超え、ついに北上川に「ひらた」が蘇った。かつて北上市川岸地区と宮城県石巻を結ぶ舟運のシンボルとして活躍した時代から100年が経っていた。 

 「ガイア展勝の会」(代表・軽石 昇)が中心になり建造されたこの「ひらた」は「北上川連携号」と名付けられ、北上川を愛する多くの人々から「いつの日かこの舟(ひらた)で実際に北上川を運航し、舟名の想いを遂げたい」と言う声がフォーラムや会議等の場だけではなく自然発生的に湧き上がっていた。
    
  しかし、その想いを北上川は簡単には叶えてくれなかった。流れに任せて下ればいいと言うものではなく水深の問題、帰りの問題、操船の問題等があり、幾多の難問に立ち向かっていく勇気が必要だった。真冬の航路調査、仕事で忙しい中の運航実現会議等、一つ一つ難問を突破していった。 

 そしてこの度、ついに・・・


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