磐井川にかかる磐井橋。この先が磐井川に流れ込む。
水天宮の上流、決壊した堤防から花川戸の決壊箇所を見る。

 東北地方では昭和22年9月11日より大雨が続き、岩手県では12日未明から雨が降り出した。14から15日はカスリン台風の接近により更に激しくなり、16日午前2時30分まで断続的な豪雨が続いた。

 岩手県の北上川系の水位はすべて警戒水位を超え、最も高かった一関・狐禅寺で記録した水位は17.58mに達し、北上川から逆流した洪水は一関の街を飲み込むほどであった。岩手県の死者130人に対し一関だけで死者100人、流失家屋131戸、全壊200戸と、一関は最も被害の大きい地域であった。

 カスリン台風の被害は県南がひどかったが、盛岡でも流失家屋は37戸、床上浸水が2659戸であった。 戦後間もないカスリン台風では、第二次大戦中に山の木々が伐採され、雨をくい止められなかったことも大きな被害につながった。(写真は「写真集 20世紀の一関」より)


二晩も屋根での生活を強いられた
屋根の上に夜具が見える(五十人町付近)



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