石川啄木(明治41年) 宮沢賢治(大正15年)
北上川にゆかりを持ち、文学、芸術、学問、政治…さまざまな分野で活躍した人々。
北上川流域に生まれた人
市町村名はいずれも現在のもの。五十音順。
阿部静枝
あべしずえ (1899~1974)
宮城県登米郡中田町生まれ。歌人。尾上柴舟(おのえさいしゅう)に師事して短歌を学び、多くの作品を発表。
石川啄木
いしかわたくぼく (1886~1912)
岩手県玉山村生まれ。歌人、詩人。幼少時代を過こした渋民村を流れる北上川は、岩手山とともに啄木の原風景といわれる。
石ノ森章太郎
いしのもりしょうたろう (1938~1997)
宮城県中田町石森字町生まれ。漫画家。本名は小野寺事太郎。「サイボーグ009」「仮面ライダー」など、漫画界の巨匠として知られる。
及川甚三郎
おいかわじんざぶろう (1855~1927)
宮城県東和町生まれ。新天地を求め、明治39年に83人の仲間と共に、石巻からカナダへ密航。無人島を開拓し、日本人移住者の理想郷づくりに尽力した。
大槻文彦
おおつきふみひこ (1847~1928)
岩手県一関市出身。文学博士、国語学者。昭和24年、日本で初めての国語辞書「言海」を発刊した。
葛西方司
かさいまんじ (1863~1942)
岩手県平泉町生まれ。建築家。東京帝国大学工学部建築料での恩師・辰野金吾とともに、旧国技館、東京駅、岩手銀行中の橋支店などを手掛けた。
金田一京助
きんだいちきょうすけ (1882~1971)
盛岡市生まれ。言語学者。消滅の危機にあったアイヌ民俗のユーカラ(口伝えに伝わる長編の民俗の叙事詩)を採録し、その解明に一生を捧げた。
後藤寿俺
ことうじぁあん (生没年不詳)
岩手県水沢市福原のキリシタン藩主」胆沢平野にある寿安堰の開削者だったが、工事半ばにしてキリシタン信徒の迫害が強まったために伊達藩を追放された。
後藤新平
ことうしんペい (1857~1929)
岩手県水沢生まれ。政治家。開東大震災後の大東京復興計画で「大風呂敷」の異名をとりつつ、東京再建に大きな功績をあげた。
斉藤實
さいとうまこと (1858~1936)
岩手県水沢市生まれ。政治家。武力や威圧による武断政治を改め、政治力で世を治める文治政策に徹した温厚さで知られる。2・26事件で凶弾に倒れた。
志賀直裁
しがなおや (1883~1971)
宮城県石巻市生まれ。作家。第一国立銀行の行員だった父の転勤で約3年間を石巻で過こした。一部増築されたものの、生家は今も現存。
高野長英
たかのちょうえい (1804~1850)
岩手県水沢市生まれ。蘭学者、医者として、飢饉に苦しむ江戸庶民の指導にあたるが、幕府の異国船打ち払い令を批判。投獄、脱獄ののちに自害した。
高橋英吉
たかはしえいきち (1911~1942)
宮城県石巻市生まれ。木彫作家。代表作に「海を主題とする三部作」など。新進彫刻家としての地位を確立しながらも、31歳で戦死した。
巽聖歌
たつみせいか (1905~1973)
岩手県紫波町生まれ。児童文学者・歌人。本宅は野付七蔵。童謡「たきび」の作詞者として知られる。
建部清俺
たてべせいあん (1712~1782)
一関田村藩医。蘭医杉田玄白との往復書簡をまとめた「和蘭医事問答」の著者。
新渡戸稲造
にとベいなぞう (1862~1933)
盛岡市出身。思想家、農学・法学博士。「われ太平洋の橋とならん」の言葉でも有名。世界各国の要人らと熱心に交流。日本への理解を広めた。
野村胡堂
のむらこどう (1882~1963)
岩手県紫波町出身。野付胡堂としては「銭形平次捕物控」を書いた大衆小説家として有名。音楽評論家「あらえびす」の顔も持つ。
支倉常長
はせくらつねなが (1571~1622)
仙台藩主・伊達政宗の命を受けた遺欧使節。1613年、一行180人余りとともに「サン・ファン・バウティスタ号」にて石巻からローマヘ向かって出航した。
原 敬
はらたかし (1856~1921)
盛岡市生まれ。政治家。大正時代、爵位を持たない平民宰相として活躍し、日本で初めての政党内閣を組織。1921年、東京駅で凶刃に倒れた。
宮沢賢治
みやざわけんじ (1896~1933)
岩手県花巻市生まれ。詩人・童話作家として、詩「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」なと多くの作品を残した。「イギリス海岸」の名付け親。
米内光政
よないみつまさ (1880~1948)
盛岡市生まれ。海軍軍人、政治家。1940年、総理大臣に就任。常に平和路線を探り戦争終結と戦後処理に尽力した。
北上川にゆかりのある人
石井省一郎
いしいしょういちろう (1841~1930)
小倉市出身。2・3代岩手県令。「土本の石井」と称さる。東北本線を盛岡まで開通させ、開運橋を私橋として架設。北上川の「石井閘門」に名を残す。
折口信夫
おりぐちしのぶ (1887~1953)
大阪府出身。国文学者、民俗学者。歌人としても活躍。1948年に、石巻を訪れ、北上川や石巻について4首の歌を残している。
河東碧梧桐
かわひがしへきこどう (1873~1937)
愛媛県松山市出身。俳人。全国旅行をまとめた紀行文「三千里」の取材旅行にて 1906年に石巻を訪れ、北上川流域に芭蕉の足跡をたどった。
川
村孫兵衛重古
かわむらまこペいしげよし (1575~1648)
山口県生まれ。政宗の命を受けて北上川と江合川、迫川をで合流させて石巻湾に注がせる難工事を成功させ、石巻は東北随一の港となった。
幸田露伴
こうだろはん (1867~1947)
東京都生まれ。小説家。「五重塔」を代表作とする理想主義的作品を残す。明治20年北海迫・東北の旅行記「突貫紀行」を著す。一関から石巻まで川蒸気船に乗る。
斉藤茂吉
さいとうもきち (1882~1953)
山形県上山市生まれ。アララギ派を代表する歌人。1931年に石巻を訪れ、北上川を詠っている。小説家・北杜夫の父。
菅江真澄
すがえますみ (1754~1829)
愛知県岡崎市生まれ。江戸中期の国学者・旅行家。秋田県に移住し東北各地を旅行。数百巷に及ぶ随筆と紀行文を書き残す。1786年、石巻地方を訪れて「真野の菅原」を見ている。
高村光太郎
たかむらこうたろう (1883~1956)
東京都出身。彫刻家・詩人。妻・智恵子の亡き後、1945年に花巻に疎開し7.5坪の粗末な山荘にて7年間、独居自炊の生活を送った。
田山花袋
たやまかたい (1872~1930)
群馬県出身。小説家。日本の私小説の先駆けとなった 「蒲団」「田舎教師」などで知られる。紀行文「山水小記」で石巻について書き記している。
津島佑子
つしまゆうこ (1947~)
青森県山身。作家。父は太宰治。長編小説「火の河のほとりで」の執筆にあたり石巻を来訪。北上川の風景を小説の中に生かした。
土井晩翆
どいばんすい (1871~1952)
宮城県仙台市出身。詩人、英文学者。「荒城の月」の作者。宮城県東和町の「不老仙館」を訪れ、掛け軸を残している。北上川に触れた校歌なども作詞。
土屋文明
つちやぶんめい (1890~1990)
群馬原生まれ。歌人。1934年以降、4回石巻を訪れている。北上川や金華山を詠んだ短歌は35首に上る。
徳田秋聲
とくだしゅうせい (1871~1943)
石川県出身。作家。未完成ながら代表作との評価が高い「縮図」は、石巻が主要な舞台となっている。
新田次郎
にったじろう (1912~1980)
長崎県生まれ。小説家。石巻市湊出身のフランク安田(安田恭輔)を主人公にした「アラスカ物語」を書いた。
松尾芭蕉
まつおばしょう (1644~1694)
伊賀上野生まれ(現在の三重県)。俳人。北上川流域には日本の俳文中の傑作として名高い紀行文「奥の細道」の文学碑が数多く残る。
柳田国男
やなぎだくにお (1875~1962)
兵庫県生まれ。民俗学の創始者。主な著書に「遠野物語」など。民間の伝承に興味を持ち、全国の山間辺地を訪ね歩き、石巻周辺にも訪れている。